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80年前から言われていた面接の無意味さ

8月から就活の選考開始だそうですね。
就活生は筆記試験に面接と面倒なイベントが盛りだくさんです。
私は面接なんてあてにならないと思っているタチなんですが、どうなんでしょうね。
たかだか数十分の面接でその人がわかるわけがないとは思うんですが。

で、昔にも同じこと考えてる人はいたのかなと思って国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、80年以上前の昭和時代に同じようなことを述べた本がありました。
「愛児の適職を選ぶには」(1932)という本です。

国立国会図書館デジタルコレクション - 愛児の適職を選ぶには

子供の適職を選ぶためのノウハウ本という感じでしょうか。
この本の「人物考査はあてにならない」の項で、面接者57人を12人が評価し、その中の面接者10人の評価を抜き出したら、どの評価もバラバラだったというデータ(田中寛一による)を引き合いに出して面接の無意味さを指摘しています。
また著者の個人的経験から小学校教師ですら評価がバラバラなのに、「人物の個性を鑑別することについて、特別に研究するでもなく、ただ漫然と自分の経験のみによって人物を評価している採用係の評価に、はなはだしい誤りのあることは言うまでもありませぬ」 (p226より。旧字体修正済み)と書いています。
これは現代でもうなずける意見ではないでしょうか。
確かに面接官は人物評価の研究者ではありませんからね。

また、「一九三六年就職相談」(1935)という本にも似たようなことが書いてあります。

国立国会図書館デジタルコレクション - 一九三六年就職相談

「採用者側に言わせると、人物の鑑定が、五分や十分の面会試問で実際分かるものではないし、仮にそれがわかるとしても、大部分の人は、皆同等のレベルによるのだから、そのうちから選定するのは、クジ引きでやるのと変わりはない。」(p94より。旧字体修正済み)
と述べられています。
ミもフタもない言い方ですが、大学全入時代の今からすると文句言えないかもしれませんね。
また、続けて、「それ位なら、むしろ、会社に縁故の深い人の紹介を受けているものを採用するのが当然だ、といいうのである。」と述べています。
人柄よりもコネがものを言う時代だったようですから、面接はあまり重要視されていなかったみたいです。
今は学歴フィルターの時代なので、結局人柄よりも別のものを重視する点は同じと言っていいでしょう。

時代背景は異なりますが、面接は昔でも意味がないと感じる人がいたんですね。

 

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